前回は、プレインストールされているもの、をみてみました。
今回は、自分に付き合う、をみてみます。
自分のことが好きだと思える人もいるでしょうし、自分のことをあまり好きではないと思っている人もいるでしょう。
好きか嫌いかは別にしても、普段、自分のことをどんな風に扱っているでしょうか。
自分がしたこと、自分が欲しいと思うことなどについて、どんな態度で接しているでしょう。
自分が自分につぶやいている言葉を拾っていくと見えてくるものがあることがあります。
何か失敗をしたような時に、「何てことしたんだ」「またやってしまった」「何でこんなことになるんだ」「こんなこともあるさ」「次からは気をつけよう」など、人によって色んな言葉をみつけられると思います。
そして、その言葉と共に出ている雰囲気、その時に自分が感じているもの、言葉についてくるニュアンスのようなものにも意識を向けてみると、自分の立ち位置や態度のようなものが伺い知れますね。
「何てことしたんだ」と言う時には、ことの大きさにビックリしているのかもしれないし、その事を自分で受け止めきれないと感じているのかもしれません。
「何でこんなことになるんだ」と言う時には、運が悪いと感じているかもしれないし、時には被害者のような気持ちになっていることもあるかもしれません。
そして、「次からは気をつけよう」と言う時には、背景には色んなことが起こるから起こったことは仕方がないという認識があって、これからは少し気を引き締めようと再確認しているようなことであるかもしれません。
生きていると楽しいことや悲しいこと、うれしいこと、困ったことなど色んな体験をしていくでしょうが、その時々に出て来る自分の姿勢や態度というのは、ある程度決まった形やパターンがあるように感じます。
事ある毎に自分を責める人や自分になかなか良い評価を与えない人、何かにつけて自分をもてあましている様子の人もいます。
自分に付き合いきれない感じ、自分の中の好きでない部分や優秀でない部分を切り離そうとしている感じ、そんなものも伝わってきます。
この様子は、小さな子供を連れていて、やんちゃな子供をもてあましている親の様子にも似ているように感じることがあります。
自分に余裕がない時や自分で自分を認めていない部分に触れる時にはつい感情的になって責めるエネルギーをだしてしまう、あるいはそれもできない時には切り離そうとするそんな感じがします。
自分に対して認めていないことは、子供に対しても認められないことが多いように思います。
ほとんど無意識でやっていることだと思いますが、自分で自分に困り果てているようでもありますね。
こんな時に、「そんな大したことができる自分ではないかもしれないけれど、とことん自分に付き合ってやろう」「こんな自分だから、自分くらいしかかまってくれる奴もいないだろうから、付き合ってやるか」「どんな自分であっても、死ぬまで一緒なんだから付き合ってやろう」というようなことを思えると随分様子が変わってきます。
きっかけは自分に呆れきったことかもしれないし、自分からは離れられないことに観念した瞬間があったのかもしれませんが、大きく方向が変わる機会になるでしょう。
「こんな自分だから」というのが謙遜なのか、ただセルフイメージが低いのかわかりませんが、そういう部分はあとから変えていくこともできます。
それより、自分を敵対視して、嫌ったり虐げていたことが止んで、自分がどうであるかという内容にかかわらず、自分の味方であり続けようと思えたならば、必要な時間をかけて、望む姿に変えていくことはできそうです。
自分の嫌な部分を嫌って変えようとする時にはなかなかうまく行かないことが、どこかでそれも含めて自分だと観念して、その上で自分に寄り添っていこうという態度が出て来る時には、もう既にイライラ、イガイガした感じはなく、どこかゆったりとしたおおらかな感じになっているように思います。
スカイプで「自分育て」を体験してみませんか!!
一度、1000円体験コーチングを試してみませんか!!
←コラム一覧へ戻る
Copyright (C) 2007 大(dai) All Rights Reserved.
※当サイトのテキスト・画像等すべての無断転載転用、を固く禁じます。