前回は、自分を表現すると、をみてみました。
今回は、自由を求めながら自由を恐れる、をみてみます。
小さい子供たちの様子を見ていると、自分の欲求に正直ですね。
おもしろそうなことがあると近づいていき、飽きると離れていく。
テレビで楽しそうなものを見かけると、すぐにでもやってみたいと思う。
やりたいことをやりたい時にやりたいだけできていれば、とても自由なんだろうと思います。
実際には、やりたいと思ってもすぐにはできなかったり、十分に無かったりすることもあるでしょう。
そんな時に、「十分やった、満足だ」、あるいは「気が済んだ」と思えるところまでやれると、スッキリしたり、思いを残すことなく意識を次のものへ移していけるんだろうと思います。
これが十分にできずにしばらく時間が経過していく時に、どのような過ごし方をしているのかは人によっていろいろあるようです。
自分がしたいと思っていること、欲しいものを明確にした上で、すぐにはできない状態がある時に、その代わりになるものを見つけようとするという選択肢があります。
自分が欲しいと思っている感覚を同じように満たしてくれそうなものが別に見つけられる時には、すんなりそれを選んでいけるかもしれません。
次に、どうしてもそれでないといけない、変わりがきかないような時で、必要な時間をかけることで解決するなら、それが手に入るまでの時間を違うことに使うことで折り合いはつくかもしれません。
その他には、欲しいものを手に入れるのをやめてしまう、というのもあります。
あきらめなさい、我慢しなさい、というのがこれにあたるでしょうか。
先程のように、欲しいと感じている感覚を生かしながら振り替えたり、切り替えたりしていた時とは違い、自分の中の何かが分断されたような感覚があるかもしれません。
最初は、大きく抵抗するでしょう。
大きな声を出したり、暴れたりして訴えますね。
小さい子供の時には、それしか方法を知りませんから、致し方ないのでしょう。
そして、もう少し大きくなっていくと、いくつかの状態に分かれていくように思います。
自分が欲しいと思っても、怒られそうだったり、聞いてもらえそうにないと察すると、それを手に入れることをあきらめてしまう。
そして、あからさまに表現すると、怒られそうだから、口に出して言うことはしないで、隠れてその欲求を満たそうとする、というのもよく見かけますね。
もうひとつは、怒られようがそれに怯むことなく、頑固に欲しいものを欲しいと主張し続けるというのも、少ないかもしれませんがありますね。
一見すると、怒られるようなことは言わないでいることが良さそうに思えるかもしれません。
世間体は良いので、怒られることもなくしばらくは平穏に時間が進んでいくと思いますが、自分で方向性を決めていこうとする時に「決められない」ということが起こってくることがあります。
「あなたは何がしたいの」と聞かれると、「わからない」という返事しか出てこないことになっていたりします。
成長過程のどこかで、欲しいことを手に入れようとすることを止めてしまっていて、暗に示されている「この道を選ぶのが良い」というものを疑いなく選び続けているという状態があります。
こういう状態だと、制限が多い不自由よりは自由の方が良いとどこかで思いながらも実際に自由が近づいてくると怖いと感じたりします。
感覚としては、自由を求めると怒られる、自由は求めてはいけない、自由になるととんでもないことになるかもしれない、というようなものがあるのかもしれません。
あるいは、言葉や態度で親や周りの人達から、「みんなが好き勝手なことを言ったら、大変なことになるから、ある程度不自由でも我慢しなければいけない」「自己犠牲をして、苦しい思いをしても堪え忍べる人が素晴らしい」というようなものが強くインプットされていると、身体は自由を求めていても、観念が自由を遠ざけようとしているそんな構図があるように思います。
こんな時には、自由を求めながら自由を恐れるということになっているのでしょう。
興味があることに触れてみたい、おもしろそうなことをやってみたい、それを自分の意志で思うようにできる時に自由を感じられるんだろうと思います。
この興味があることに触れてみたい、おもしろそうなことをやってみたいという動機で行動している時には、とてもパワフルで、活き活きとしていて、いろんなものとも簡単に繋がれているんではないかと思います。
小さい子供の頃は正にこんな感じですよね。
ここを塞いでしまうと、生きるエネルギーが出てこないようになってしまいます。
その代わりのものが必要になってきます。
自分を生きないわけですから、「誰かのために」とか「何かを支えるため」とかの理由が必要になったり、承認や賞賛などを他者から得ることで存在価値を見いだす必要があったりするようになっていきます。
「自分が自由であり続けることで、誰かを不幸にすることはない」「誰をも不幸にすることなく、自由でいられるあり方がある」というようなことが実際に可能である、さらには簡単なことである、本来はそういうものだ、という感覚が自分にとって身近なものになってくると、自由を求める時に顔を出していた怖さは小さくなっていくのではないかと思います。
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