前回は、自転車の乗り方を教える、をみてみました。
今回は、つながる、をみてみます。
もっとつながりたい、もっと人とつながっていたいというのは、セッションの中でもよく出てくる思いです。
自分を守るのに忙しい時には、人から遠ざかったり、1人でいる時間を増やしたりするのですが、そんな期間が長くなってくると、自分だけ切り離されているような孤独感を強く感じるようになったりします。
そして、一方で人に近づくことに怖さや面倒くささを感じながらも、人とつながりたい、つながっていたいという思いをさらに自覚することになるように思います。
この「人とつながる」というのにもいろんなあり方があります。
例えば、人を殴るというのも殴っている方は憎くて殴っているのではなくて、そういうやり方でつながろうとしていたりします。
それが良いと思ってやっている人もあるかもしれませんが、そういうやり方しか知らなくて、他の選択肢や可能性がない、選べない状態で、否定的なやり方を知らぬ間に選んでしまっているというのも多いように思います。
これまでの成長過程でそういうつながり方しか経験してこなかった、見てこなかったならば、致し方ないとも言えますが、気づいた時点から肯定的な選択肢を増やしていけると良いと思います。
また、全く切り離されていれば何の交流も行き交うものもないのですが、一度道路が開通するようにつながると、いろんなものが交流しあうことができます。
感じているもの、考え方、ノウハウ、お金など、様々なものが行き交って、影響しあい、影響を受け合います。
全く無防備で、無選択でいると、相手からあらゆるものが無差別に流れ込んでくることがあります。
相手が持ちきれないほどに抱え込んでいたネガティブな感情が、どんどん流れ込んでくるようなことにもなりかねないですね。
そんなものが一気に流れ込んできて、自分でうまく対応できないととても疲れてしまいます。
いわゆる境界線がない状態で、自分と相手の区別が無いかのようです。
国境を越える時に行われる検疫や関税などのように相手と自分との区別をつけて、どのようにつき合うのか、つながりたいのかを機会をみつけて確認しておくのは大切なことだと思います。
誰かと話をした後、いつもより疲れるとしたら、話を聞き過ぎたか、相手の思いや感情を背負い込んでしまうなど聴き方に問題があったのかもしれません。
実際には、誰ともつながることなく存在することはできないでしょう。
というよりは、存在しているということは即ち、何らかのつながりが既にあるんだと思います。
この部分は一緒に共有してつながるけれど、ここは別々にしておく、というところがあっても良いですし、むしろその方が自然でしょう。
それには、自分であるものと自分ではないものを感じて自覚できる必要があります。
そして、その意志を示すことができると、選択的に人とつながることができるでしょう。
普段はそれほど意識することなく、無意識でやっている部分だと思いますが、確実に自分がやっている部分です。
客観性を持って自分と人とのやりとりやつきあい方を観察してみるとその傾向や自分がやりがちなパターンを見いだせるでしょう。
多くの場合は、本当はこんなつきあい方がしたい、こういう関係をつくりたいというのがないままに、NOと言えなかったり、その場の流れに何となく流れていったりしているのではないかと思います。
また、時には強く情が働いて、同情したり、可哀想だと思って相手の代わりに何かをしてあげたいと思い、本来相手の領域であるところにどんどん入っていくというケースもありますね。
この時も相手の進入を拒むことをしないでいると、自分で自分を保持することができない状態になってしまうかもしれません。
それぞれの人に主権と責任があって、それは他の人が替わってあげることはできないものがあると思います。
それは、親子であっても、親友であっても、恋人でもあっても変わることはないでしょう。
自分が自分であること、その範囲を感じて、その内側と外側の区別を感じながら、人とつながることができるとお互いが自立していてかつ、活かしあえるような関係がつくっていけるのかなと感じています。
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