前回は、つながる、をみてみました。
今回は、私が悪い、をみてみます。
何かにつけて、「私が悪い」と思う人がいます。
1日に何回も何回も「私が悪い」と思っていたりします。
日常生活の場面でも耳を澄ませば、「あの人が悪い」「私は悪くない」など、誰かが常に悪くならないと気が済まないかのような会話が聞こえてきます。
この「私が悪い」というのをもっと正確に表現すると、「私がやった〜という行動や発言などが適切ではなかった」というようなことを意味していることが多いように思います。
こんな風に正確に表現すると長くなるので、「私が悪い」と端的に短い言葉で表しているのかなと思います。
「私が悪い」という表現をした時に、さっきの私の行動や発言などが適切でなかったとだけ理解するなら問題ないのですが、言葉通り「私が悪い」という風に思ってしまうと厄介なことになってしまいますね。
「罪を憎んで人を憎まず」(個人的には罪も憎まないでもいいように思いますが)のように、人に良い悪いがあるのではない、という認識があると良いと思います。
私は、最初から「悪い人」がいるわけではないと思っていますが、私がどう思うかにかかわらず、「私が悪い」と思い続けているとその本人が不自由になります。
「私が悪い」と思う時、堂々としていられないし、つい下を向いてしまう、一歩下がってしまう、隠れようとしてしまう、などのような状態になってしまいます。
いつまでもその中から抜けられず、次の行動に移れない。
自分が関わるあらゆることに暗い陰を落とすことになってしまいます。
「私が悪い」と思うのではなく、「私がやったことは悪かった」と思う時、謝るべきは謝り、補償すべきは補償し、訂正すべきは訂正して、その時に必要な責任を果たす覚悟を持っていれば、どんな状況でも堂々としていられるし、行動できなくなるというようなことにはならないで済みます。
そして、その経験も自分の肥やしとして、次なる行動やチャレンジに向かっていけいくことができます。
いくらか落ち込むようなことがあっても、いつまでも下を向いていることなく、また堂々とした状態に速やかに戻れます。
「私が悪い」というところに居続けると、萎縮し、表現や行動ができなくなってしまいます。
まずは、自分の中でこういう区別をしているのかというのを確認してみる機会を持ってみるといいですね。
いつもどこかで「私が悪い」あるいは「私が悪いんじゃないか」ということを気にしている自分を見つけた時には、自分自身の価値と自分がやったことを分けて扱う練習をしておいた方が良いかもしれません。
世の中には、「自分が悪い」なんてこれっぽっちも思っていないような人も見かけます。
そういう人から受ける印象の共通点は、おおらかで明るく表裏がない印象だったりします。
また、「私が悪い」あるいは「私が悪いんじゃないか」というのがとても気になる人は、「私は悪くない」ということをよく言っているようにも思います。
「私が悪い」のかもしれない、というのをどこかで感じながら、もう一方でそう思いたくないという思いも強いということなんでしょう。
「私が悪い」と思いがちな人にも、いつも暗く何もできなくなってしまっている人や、「私が悪い」と自分で思いたくない、人から言われたくないという思いで、普段から気をつけて何でも念入りにしているという人もいるようです。
普段から気をつけて何でも念入りにしているという人でも、いつもピリピリしたり、イライラしたりするなど、「私が悪い」という思いを持っていることの影響は受け続けているんじゃないかと思います。
一度、人や自分を良いとか悪いとかという風に見ることそのものを手放せば、当然ながら感じるものは全然変わってきます。
肩や首の辺りの緊張が緩むでしょうし、もっとおおらかに、あるいはのんびりとしていられるのかもしれません。
これもただの習慣ですから、これから生きていくのに、「もう要らないな」と思えるなら、自分の中に見つけた時に手放しておけば良いでしょう。
気づかないでいると、あるいは気づいていても新しい選択をしないでいると、ずっと持ち続けることになりますから、気づいたら早めに対処しておくと良いですね。
スカイプで「自分育て」を体験してみませんか!!
一度、1000円体験コーチングを試してみませんか!!
←コラム一覧へ戻る
Copyright (C) 2007 大(dai) All Rights Reserved.
※当サイトのテキスト・画像等すべての無断転載転用、を固く禁じます。