前回は、次の一歩、をみてみました。
今回は、このままではいけない、をみてみます。
人が「このままではいけない」と思う時、どういう状態になっているんでしょう。
こうあるべきだ、というどこかの基準に照らし合わせて、それとは今の自分が違っているので、今のままではいけないと思うのでしょぅか。
その基準というのは、役割から来るものだったり、年齢から来るものだったり、自分の理想やポリシーからくるものだったりするのでしょう。
それが何であれ、自分が重要だと思う基準に自分が合ってないと、このままではいられないという感覚が出て来るのかもしれませんね。
この時の様子も人によって様々でしょう。
一刻たりとも猶予がないように感じて、落ち着かなさや焦りを感じている場合や穏やかさと共にそろそろ動く頃だなとゆったりと感じているような場合もあるでしょう。
いずれにしろ、変化や動きを求められている感覚がありそうです。
多くの場合は、楽しく動くか渋々動くかは別にして、動こうとするようです。
しかし、焦りや落ち着かなさなど心地良くない感覚にとらわれることなく、俯瞰した冷静さを持つことができれば、違う選択肢を見つけられるかもしれません。
それは、「このままではいけない」と思うに至った経緯を見ていくと見つけられるものがあります。
例えば、「来年には40歳になるし、・・・」「もうすぐ私も主任になるし、・・・」というものがあったとしたら、その時に思う40歳や主任のイメージが今の自分では十分ではないと思ったのかもしれません。
この機会に、自分を変えて、自分が思う40歳や主任のイメージに近づいていこうとすることもできるし、その時にイメージした40歳や主任のイメージの方を変えてみることもできるはずです。
最初に持っていた40歳や主任のイメージが大した根拠のないものであったり、ただの一般論やこれまで見てきた人がそうだったいうだけというものなら、今一度中身を吟味してみる価値はあるでしょう。
また、「今の自分のままで、どんな風に40歳を楽しもうか」とか「今の自分のままで、主任になって活躍してやるぞ」というのあり得ますよね。
むしろ、その方が同じ様な40歳や主任ばかりになることなく、個性的なユニークな40歳や主任が増えそうで、私個人的には楽しみです。
興味や好奇心と共に変化していくことはとても楽しいですが、脅迫的に焦燥感を伴ないながら変化しようとしなくても良いようには思います。
肯定的にしろ、否定的にしろ、自分が深くコミットしたものは現実化していくと思いますが、そのどちらのやり方でいくのかも自分の選択であるということを知っていると、気は楽になると思います。
もうひとつ思うのは、あまりにも安易に自分が自分である感覚から離れて、周囲や社会が望むであろうものに自分を変化させようとすることが多すぎるように感じます。
結局のところ、何に価値を見ているのか、どこに価値を置いているのかというのが大きな前提になっているのでしょう。
自分自身を価値のないものと深いところで思っている時には、他に価値あるものを求めようとしますね。
そうじゃなきゃ、価値がないと思いながら自分自身でいても、不安ばかりが募ってその状態を長く続けることはできないでしょう。
外側にある価値があると思えるものと自分を繋げようとします。
それは、学歴や経済力やブランドや外見の良さ、など色々あり得ます。
そうであっても、何かを機会に自分はこのままで価値ある存在なんだと思えた時には、安全安心のために殊更何かに心を砕くようなことをする必要がなくなります。
これまで自分に鞭打って、無理矢理自分を動かしていたようなことが必要なくなっていきます。
そして、「ただ自分でいるだけで良かったんだ」と思えたり、自分以外になろうとすることがどれだけしんどい事であったのかを知ることになったりするように思います。
このまま突っ走ろうというのを、一時止めて自分と向き合う機会を持って、その時々の自分が感じていることに意識を向け始めることで、気づけるポイントは沢山表れます。
このまま走り続けても、いずれ持たなくなるとどこかで気づいていながら、なかなかその機会を持てずにいることもあるかもしれません。
どのタイミングで始めるのかも、自分に任されていることなんだと思います。
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