前回は、混乱を通る、をみてみました。
今回は、大切にする、をみてみます。
最近、「大切にする」は大切だなと思うことがあります。
自分が大切にしているものを思いめぐらせてみると、家族や子供、自分、親、仕事、友達・・・といくつも出て来ます。
「どれくらい大事にしているのかな」というのがふと意識にのぼってきて、同時に本当に大切にしているのかな?というのような感覚も出てきます。
「大切にする」ってどういうことなんだろう、というのが更に連想されてきます。
出て来るものを出て来るままに書いてみると、粗末に扱わない、価値あるものとしてみる、壊れないように無くさないように気をつける、というのが出て来ました。
今度は、自分が大切にされる側で、イメージしてみます。
目の前の人が私に向かって、「あなたのことを大切に思っています」と言ってくれて、丁寧な言葉遣いや接し方をしてくれていて、こちらの思いを推し量ったり、思いに沿うような心遣いをしてくれる、そんなイメージをしてみました。
その時に感じたものは、うれしい、温かい、心地良い、緊張が緩められる、自分を広げられる、というのが次々と感じられました。
さらによく見ていくと、「あなたを認めていますよ」ということが、そのまま言葉で表現されているわけではないですが、態度や接し方から感じられて、「私には価値があるんだ、ここは私が居てもいい所なんだ」というように思えて、気分が良くなっているようです。
しばらくそのまま感じて味わっていると、丁寧に扱われることが最初は心地良かったのですが、しばらくすると距離感が気になって、もう少し近くに感じたいような思いが出てきたので、心遣いや優しさが感じられるもののそれ程丁寧ではなくフランクな言い方にイメージを変えてみました。
すると、さらに良い感じになってきました。
尊重される感じや親しみを感じられていて、距離感も遠すぎることなく近くに心地良く感じられます。
こんな風にイメージを動かしながらふと思ったのは、大切にされる側にもいろいろと好みがあるので、神棚に飾られるような扱いをされるばかりではうれしくないなという思いでした。
誰かを大切にしていると自分で思う時、「自分は大切に思っているんだ」「自分は大切にしているんだ」と一方的になるより、相手の感じているものも確認しておいた方が良さそうな気がしてきました。
例えば、親が子供を大切に思っているという時でも、こちらが大切に思っていることがどれくらい伝わっているのか、伝わっていないのか、時々聞いておかないと独りよがりになってしまいそうです。
どんな行為でも思いが変換されたものだと思うのですが、その行為を通して相手が受け取るものは、最初にこちらが抱いていた思いとは随分違うことがあります。
というか、多くの場合は違うものになっているでしょう。
どの程度違うものになっているのかは知っておいた方が良さそうです。
密かに大切に思っているのも良いですが、大切に思われていると感じたい時もありそうですから、時にはストレートに言葉で伝えることも必要かもしれませんね。
必要といえば、「あなたが大切だ」という時に「あなたが必要だ」というのとほぼ同じ意味で使っている時もあるような気がします。
「あなたがいないと私は生きていけない、だから私にとってあなたは大切だ」という感じでしょうか。
これも確かに大切には違いないでしょうが、ニュアンスが少し変わってきますね。
この場合、大切に思われている方の身になってみると、相手に依存されたい人の場合はうれしく感じるかもしれませんが、対等の自立した自由な関係をつくっていきたい時にはちょっと不自由で窮屈な感じがするかもしれません。
個人的な好みですが、「あなたがいないと私は生きていけない」というよりかは、「あなたがいてくれると私はうれしい」ぐらいが、適度な良い距離感があって、うれしさと自由さが感じられて心地良く感じます。
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