前回は、叱ると褒める、をみてみました。
今回は、久しぶりのスケート、をみてみます。
先日、小学生の子供2人を連れてスケートに行ってきました。
子供はこれまでにやったことがなく今回が初めてで、私はほぼ20年ぶりでした。
20年ぶりなので、「たぶん何回か転けるんだろうな」というのや、「自分が滑れなかったら子供にも教えられないし、どうしようかな」という思いもよぎったのですが、「まーいっか、何とかなるだろう」という感じで出かけていきました。
貸し靴を借りて靴紐を結んでいると、自分が子供の時にスケートに行った時のことを思い出し始めました。
小学校の高学年の時に友達同士で行って、誰も教えてくれる人もいなかったので、ずっと壁か手すりから離れられずに初日はほとんど滑れないで帰って行ったようなことを思い出していました。
そして、恐る恐るスケートリンクに入ってみると、スイスイとは滑れないまでも、ちょっとずつ進みながら転けることなく1周することができました。
外から見てると、たどたどしくおじさんが滑ってるように見えただけだと思いますが、自分の中では結構感動していました。
「20年滑っていなくても、ちゃんと身体は覚えてるんだ」と。
セッションの中では、「過去に1度でもできたことは身体がちゃんと覚えていますから、・・・」なんて言ってて頭では知っていることなんですが、改めて体験して実感していました。
それから、2〜3周ゆっくり様子を見ながら自分のペースで滑っていると、人の流れの中に入って滑れるようになり、なんとか子供に教えられそうでホッとしました。
子供たちの様子を見てると、「怖いけど滑ってみたい、滑ってみたいけど怖い」という表情で、怖さと好奇心が交互に見え隠れしているようです。
自分が子供の時の記憶では、最初の2〜3時間くらいは転けまくっていたので「この子達はどうかな」と思いながら、一緒にスケートリンクに入ってみることにしました。
片方の手を繋いで、もう片方の手は壁に捕まって、安全を確保しながら、スケート靴やリンクの感触を感じて慣れていくことにしました。
バランスを崩してはまたバランスをとって、というのを何回も繰り返していました。
この様子を見ていると、もっと小さい時にハイハイから歩き始めようとしていた時のことを思い出しました。
立とうとして転けて、立とうとして転けてというのを何回も何回も繰り返していましたね。
あの時と今の一番の違いは、ハイハイから歩き始めようとしていた時はほとんど怖さを感じていなかったように思います。
転けてどこかをぶつけたりすると痛くて泣いてはいましたが、立とうとする時に転けることを予測してその事を怖がる様子はなかったように思います。
格闘技をしていて、相手がこんな風に恐れることなく何度も立ち上がってきたら怖いだろうなと感じたことを思い出します。
今回は、好奇心はとってもあるものの同時に怖さも強くあるようです。
赤ちゃんの時は、安全に関しては100%親任せといった状態ですが、成長して自分の安全を自分で確保していこうとする時にはその安全装置としての怖さというのは出てきていて当然なのでしょう。
あとは程度の問題で、あまりに怖さが強すぎて、試行錯誤やチャレンジすることをやめてしまうようでは成長できないし、不自由になってしまいます。
子供たちをみていると、好奇心は旺盛なので、怖さが強く出すぎないように手を貸してやれば、自分で色々やってそのうち慣れて行くだろうな、と思えました。
そして、子供たちが言う「もうちょっとゆっくり行って」「片手だけ持ってて」「一度手を離してみるし、見てて」「1人で滑ってみるわ」という言葉の通りに付き合うことにしました。
大きなチャレンジをして、転けて泣いても、しばらく抱きしめて安心できれば、またチャレンジできるだろうと思ってましたが、結果的にはほとんど転けることがなく、最後に1回人にぶつかられて転けただけでした。
結局、1時間半ぐらいで、とてもゆっくりではあるけれど1人で直線を数メートル進めるようになっていました。
自分が滑る20年ぶりのスケートも楽しかったですが、子供たちの様子を見ていることで、人が新しいことややったことがないことをやろうとする時にはたらく気持ちのアクセルとブレーキがとてもわかりやすい形で見えたので面白かったです。
興味や好奇心というアクセルがある時には、ブレーキとなる怖さをコントロールしてやると安全に確実に進んでいけるんだと思います。
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