前回は、嫌いな人、をみてみました。
今回は、やっぱりやめとく、をみてみます。
先日、子供たちを連れてお花見に行ってきました。
天気も良かったので、公園のような所を子供たちが走り回っていました。
その場所は、川の近くにあり、川の水を触れるところまで階段がついていました。
「お水触りたい」と言ったので、「触りに行っておいで」と告げたのですが、次の瞬間に「やっぱりやめとく」と言いました。
「どうして」と聞いても何も答えなかったのですが、その様子を見ていると川に続く階段の所に「増水時は近づいてはいけません」と書いてあるのを見ているようでした。
読み仮名はふってあるのですが、増水時という意味はわからなくて、「近づいてはいけません」と言うところだけ読んでいたようです。
今日は天気も良いし、何日も雨は降っていないからと、増水時の意味を教えて、「今はお水触ってきてもいいよ」と伝えたのですが、「近づいてはいけません」というのが気になるようで、「やっぱりやめとく」というのを繰り返していました。
ちょっと気になったので、「じゃぁ、一緒に行こう」と言って手をつないで階段を下りて川の水を触りに行きました。
そうすると、うれしそうな表情で目もキラキラしていました。
「さっきは、どんな風に思ってたの」と聞くと「行ったらダメだと思ったし、行って怒られるのは嫌やと思った」と教えてくれました。
そう言えば、最近はよく「やっぱりやめとく」と言っているのが思い出されてきました。
それと同時に、イライラしている時間も増えているように思います。
小学校に入ってから、クラスの人数も保育所の時に比べると増えているし、集団のルールもより多くなっているのかきつくなっているのか、本人からすると「〜したら怒られる」というのが随分たくさん増えているようです。
外から見ていると、「そんなに気にしなくても良いのに」「少し怒られるぐらいの方が良いよ」と思うのですが、本人は怒られるのがとっても嫌なようです。
基本的に性格に良い悪いはないと思っているので、本人が性格を変えたいと思う時には手伝ってあげられるけれど、外から性格を変えろと迫る必要はないとも思っているので、ひとまずはその性格をできるだけ尊重する形で、寄り添ってやりたいなと思っています。
ただ、「やっぱりやめとく」という台詞が頻発するのは、私から見ると大ごとなので看過できないところです。
自分の中で、興味を持ったり、近づいてみたい、触ってみたい、やってみたいという思いを持った時にその思いを表現したり、実際の行動として表れていく流れを断ち切ってしまいます。
こんなことを何回も何回も繰り返していくと、それはイライラもしてきますね。
そして、こういうことを繰り返していくと、興味を持ったりやってみたいと思うことをしなくなってしまうかもしれません。
興味を持ってもどうせできない、欲しいと思っても手に入らないんだから無駄だ、と諦めたり、空しくなったりなってしまう方向に進んでしまいます。
やりたいことがないとかわからないという人は、たぶんこんな風になっているじゃないかと思います。
おもしろそうだ、やってみたい、近くに感じてみたいというような思いから動き出す時、とてもシンプルでパワフルでいられます。
この流れを遮断してしまうと、人生がどんどん複雑に入り組んで時にショートしてしまうように思います。
理由や目的、意味などを頭であれこれ考え始めて、袋小路にどんどん突っ込んでいったりします。
こういう時、感じているものをみていると、やはりどこかで諦めていたり、虚しさを抱えていることが多いように思います。
さっきの子供の話しを戻すと、「やっぱりやめとく」と言った時に、自分の中でどんなルートを辿っていたのかを一緒にみてやります。
川のそばに行くかどうかの時には、増水時じゃなかったら行っても良い、とか大人と一緒で安全だったらいっても良いとか、行ってみたいという思いをできるだけ生かせるルートを見つけて、行動するところまで見届けられると良いように思います。
どうしてもその時にできないようなことでも、別の機会を設定するとか、それも無理ならその思いを生かせる別のものを見つけることもできます。
ただ「ダメ」とか我慢とか諦めるということだと、生きるエネルギーが弱まってしまいます。
おもしろそう、やってみたいと思うワクワクの火を消すことなく持ち続けて行って欲しいし、自分も持ち続けていきたいですね。
スカイプで「自分育て」を体験してみませんか!!
一度、1000円体験コーチングを試してみませんか!!
←コラム一覧へ戻る
Copyright (C) 2007 大(dai) All Rights Reserved.
※当サイトのテキスト・画像等すべての無断転載転用、を固く禁じます。