前回は、教えない、をみてみました。
今回は、不器用な人、をみてみます。
以前、テレビで宮大工の棟梁への密着取材のようなものをやっていました。
歴史的建造物の紹介や代々受け継がれている匠の技の話しと共にその技を受け継ぐ弟子の育て方についても話しをされていました。
その中で一番印象的だったのが、弟子をとる時のポイントに「不器用」であることを挙げられていたことです。
普通に考えると木を上手に削ったり、釘を使わずに正確に木を組んだりする宮大工の仕事だと器用な人の方が良さそうに思ったのですがどうもそうではないようです。
長年、宮大工をして弟子を育てている中で、器用な人ほど早く止めて行くということが起こっているそうです。
器用な人は、何でもすぐにそれなりにできてしまうので、ちょっとしたきっかけで他の仕事や一般の大工に移っていくということでした。
それに比べて、不器用な人は何をするにもそれなりに時間がかかるのであれこれと色んなことに手を出すことなく1つのことに一生懸命取り組むので、長い目で見ると最後には不器用な人の方が良い宮大工になるというお話しでした。
また、宮大工というのはとても奥が深いので、最後には表面的な器用さより真摯な探求心のようなものが無いと一定のレベルより先には行けないのかなという風にも感じました。
スタート時にちょっとはやいか遅いかということよりも長い目で見ると、もっと大切なことがあるようです。
この話を聞いて、「なるほどな」と思いながら、自分の身の回りでも似たようなことが起こっていることに思いが至りました。
器用な人は何でも短期間に上手にやれてしまうので、本当に自分がやりたいことではないことでも周りが認めるレベルのことを簡単に出来てしまうことが多くて、余程の覚悟をしないと「それなり」のところに収まってしまうことが多いのかもしれません。
昔バンドをしていた頃、本当はボーカルがしたいと思っているのに、ベースやキーボードが弾けたりするとそっちのニーズの方が多くて、結果としてボーカルをする機会はとても少なくなってベースやキーボードを弾いてる姿ばかりをよく見るという人がいたのを思い出します。
その後、その人はベースやキーボードの依頼は断って、ボーカルに専念していました。
サラリーマンをしながらいずれは自分の天職につきたい、自分のやりたいことを仕事にしたいと思っている人の中で、器用な人は今のところでもそれなりに評価されていたり、給料もある程度良かったりすると決断をするのがついずるずると先延ばしになっている様子を見かけることも割とよくあります。
不器用な人は、自分が好きなことか得意なことしかうまくできないので、かえって迷う余地が無くて、早く自分が求める道に入れるということがあるのかもしれないなと思います。
器用な人はある意味小手先でもそれなりにできてしまうけれど、不器用な人はいつも本気で全身全霊を傾けないとできないので自分で選択してやる時には自然にそんな風になっているのかもしれません。
不器用な人の利点ばかりにフォーカスしてきましたが、もちろん器用なことが良くないということではありません。
逆にいうと、器用な人は重宝がられて周りに求められることが多いので周囲の都合で振り回されないように、より明確に自分は何をしたいのか、自分は何をすると納得するのか、どうなるとうれしいのかということを知っておくことが大切になってくると思います。
そして、自分が望まないものには毅然と「NO」と言えることも必要だと思います。
その器用さを自分が本当にやりたいところで発揮できればとても素晴らしいですね。
不器用な人は、あれこれ簡単にできない分、迷うことなく自分の行きたい道を根気強く進んでいければ良いんでしょう。
不器用さをマイナスに捉えたり、人より時間がかかることを気にすることなく、良いイメージを保持して継続していければ良いですね。
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