前回は、自由を求めながら自由を恐れる、をみてみました。
今回は、問題はあり続ける、をみてみます。
目の前にある問題をうまく解決できないと思い、時間が経つにつれて、どんどん疲れ果てていくという流れの中にいた時には、「問題をなくしたい」「問題がない世界に行きたい」というような思いを持っていた頃があります。
必要最小限で良いので、とにかく早く問題を片付けて解放されたいという思いが強くあったのですが、やってもやっても問題がなくならない、そんな感覚がありました。
問題から逃れたいという思いが強くて、目をつむって走っているような感じだったのかもしれません。
でも現実には、やってもやってもなくなるどころか次から次へとやってきます。
この時の問題というのは、難しいものと言うよりは、やらなければいけないことという印象が強いのですが、例えば、生きているだけでやる必要のあることがあります。
食べることだったり、片付けることだったり、誰かに連絡することだったり、そんなことは一度やったからといって、なくなるものではなく、やってもやっても生きている限りはあり続けますね。
そして、やらなければいけないことを減らしたいと思っていると、どんどん人から離れていくし、行動的ではなくなっていきます。
どんどん何もしないようになって、それでも生きているだけでしないといけないことはあり続ける、そんな状態だったように思います。
そんなある時に、ふと「問題はあり続ける」というのが自分の中に入ってきて、すっと奥の方まで染み込んでいったのを思い出します。
それまで、自分の意識の少し奥の方で一番強かった「問題をなくしたい」「問題から逃れたい」という思いが止んだ時でした。
「生きている限り問題はありつつける」というのは言葉にしてみると、とても当たり前のことではあるんですが、自分の中でそういう理解がはっきりとできていなかったんだと思います。
その理解が自分の中に入ると、もう問題をなくそうとか逃れようという衝動はなく、意識のフォーカスは、「無くなることがないのなら、どんな風に関わっていくのが良いかな」というものに変わっていきました。
そうすると、色んな視点がでてきます。
まずは、量の問題については、自分にとって多すぎて大変なら、断るなどして量を減らすか、誰かに手伝ってもらうか、あるいは期限を調節して、毎日のペースを疲れすぎないものにしようとすることを考え始めました。
質に関しては、それまでは得意なもの、不得意なもの、興味のあるものないものなど色んなものが混ざっていたのですが、あまりそれらを感じることなく、ただそつなくこなすことだけに意識が向いていたのが、自分にとってどういうものなのかを感じ始めました。
そうすると、やっていて楽しいと思えるもの、あまりやりたくないもの、の違いがはっきりと見えてきました。
一番大きかったのは、前は「やっていて楽しいと思えるもの」も楽しいと感じることなくやっていたのを、楽しみ始めたということでした。
気づいて少し意外だったのは、単純な作業を身体は割と心地良く感じていたんだなということでした。
アイデアを出したり創造的なことの楽しさや身体を適度に使うことの楽しさや業務上のことでも人に何かを伝えたり伝えられたりすることのつながっている安心感など、色んな心地良く感じる感覚があることにも意識が向き始めました。
楽しくないことについては、楽しく関わる工夫ができるものはできる範囲でそうして、どうしても楽しめないもので、断れないと感じているものは、気合いを入れてできるだけ短時間で済まそうとしたりと、自然と工夫をしはじました。
逃げ回るのを諦めて、正面から見ようとしたことで、違いが出てきたんだと思います。
疲れ方も随分マシになりました。
どんどん疲弊していくサイクルから抜け出して、少しの余裕が持てるようになった感じです。
それからは、問題を見つけた時には反射的に目を背けるということはあまりしなくなったように思います。
今やるのか後でやるのか、やらないでいいようにしようとするのか、色んな対処がありますが、自分の責任で、自分の判断でしようという意識がしっかりしてきたように思います。
どうせ対処する必要があることがあり続けるわけだし、できれば楽しんで関わって、さらに自分が充実してくれば、チャレンジとして積極的に関わろうとするようになると、もはや問題というよりは、これから取り組むテーマというニュアンスに変わってくるのかもしれません。
自分と問題の関係を一度、ゆっくり感じてみると見えてくるものがあると思います。
少しでも背を向けて、逃げ腰な態度があると、追いかけられるような感じがあるでしょうからすぐにわかると思います。
私のセッションでは、問題解決を目的に始めてしばらく続けていると、だんだん自己探求的になっていきます。
そして、その人に必要な時間やプロセスを経て、だんだんと自由な感覚を感じられるように進んでいくように感じています。
こうなると、問題に追いかけられるというよりは、問題を生み出していた種を見つけて、それが発芽したり、大きくなる前に対処するような感じになっています。
この頃には、問題の種を見つけることは、しんどいことというよりはさらに自由になれる機会を得たというニュアンスがあってうれしくなってきたりもしますね。
生きている限り続く(ひょっとしたらそれ以降も?)問題(テーマ)との関わり方を一度見直してみるのも、とっても価値があるのではないでしょうか。
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