前回は、ポイポイ、をみてみました。
今回は、教えない、をみてみます。
以前、歌舞伎をされている方のインタビューをテレビでやっていました。
その中で印象的だったのが、何も教えないということでした。
師匠の方が言われるには、教えてしまうと良くも悪くも自分のコピーをつくることになってしまうし、それでは自分を越えるようなものがでてこない、ということでした。
弟子は、師匠の技や立ち居振る舞いを観察して盗むしかない、師匠は何も言ってくれないのです。
そして、師匠は自分を越えて欲しい、自分も驚くようなものを見せてもらいたいということも言っておられました。
弟子であっても、ライバルというかどこか対等に見ているところが感じられて、早い段階から一人前の自立した存在として接しておられるように感じました。
弟子からすると、教えてもらえないなら、自分でやるしか無いですね。
これで良いのか良くないのか、自分はどれぐらいできているのかできていないのか、知りたくなるようですが、師匠は何も言ってくれないので、自分で判断するしかありません。
自分以外の誰かの物差しではなく、自分がどれくらいベストを尽くしているのか、どれくらい感じているのか、どれくらい表現しているのか、自分の感覚で見ていくしかないのでしょう。
弟子にもインタビューされていましたが、「ここが悪い、もうちょっとこうしろ」と言われた方が気が楽だ、言われていました。
悪いと言われたところを直して、それで良い、成長してるぞ、と言われたいという思いもよくわかりますね。
ただ、本当にやりたいことをやっている時には、あまり人に褒められなくても気にならないような気もします。
もちろん、自分の感性に共鳴してくれる人がいることや賞賛してもらえることはうれしいのですが、逆にいうと人に賞賛されても自分の中でフィットしている感覚が得られないと満足はできないんだろうなとも思います。
そういう意味では、教えないということは、最初の段階からその自分の中のフィット感を養うにはとても良いんだろうなと思えてきます。
そして、何も教えてくれないと言うことは、何もしなくても何も言われないわけで、自分がやった分しか進まないので、自分がどれぐらい好きか、本気か、やる気があるのかというのが、ごまかしようもなく表れてくるのでしょう。
必然的に本当にやる気のある人しかいられない場所になるのかもしれません。
昔の職人さんの世界なども似たようなものがあったのかもしれませんが、最近はあまり触れることのない世界だったので、とても新鮮で心地良かったです。
自分の周囲を見渡すと、マニュアルや教材で一定レベルできる人やその人のコピーをつくっていくようなものが溢れているように感じていたので、目が覚めるような思いでもありました。
同じように考え、同じような発想をして、同じような行動をして、という人ばかりが増えるのは何となくつまらないなと思えてきます。
そんなことを思っていると、保育園で見ていた子供たちの様子が思い出されてきます。
まだ何の型にもはまっていない、自由な発想、表現、行動をみているととても触発されます。
人は本来みんなユニークで、1人として同じ人はいないはずなんですが、そのユニークさを押さえたり隠したり、恥ずかしいと感じたり、なかなか表現しなくなっていきますね。
その人がその人である感覚をそのまま見せてもらえる時、そしてそれをそのまま受け取っている時、とても良い気分になります。
何か大自然の中にいるような感覚でもあります。
その人がその人である感覚をそのまま見せてもらえない時、あるいは自分がそれをそのまま受け取れない時、とても寂しいような悲しいような気分になることがあります。
何か切り離されたような気分です。
自分を感じることや自分の中から起こってくる感覚を表現する時に、恥ずかしさや照れや怖さなどもまだまだ沢山出てきますが、少しずつでもその時にできる限り、自分自身であるユニークな感覚のままでいたいなと改めて思いました。
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